とももも桃も桃のうち


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by tomomo_tomopan
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人生の熱狂と時代の熱狂

[本日の結論]要はタイミング

ある歴史学者が、最近の人々が持つ潜在的な歴史観は「個人史的」であり、
非常に危険であると述べていた。
彼の意見を僕なりに少し補足をすると、
「個人史的」とは、歴史の流れが「個人」の観点から語られ、
一人の人間の行動や思考が歴史に影響を与える、という事を指しており、
また、「危険」であるとは、歴史が矮小化され、
その結果、事象の社会的原因や背景を考察せず同じ事を繰り返すのだという事だろう。
現在テレビで放映される歴史物が個人の感情やそれに応じた行動選択を中心に描くので、
歴史とは個人の力によって改変されると考えてしまいがちであるというのがその根拠である。

歴史学・社会学を多少なりとも研究していた者は、基本的にこの個人史的歴史観を取らない。
歴史とは構造的であり、繰り返されるものだと考えるのである(=構造的歴史観)。
また、個人が歴史的役割を果たすならば、
たまたま、時代が求める条件に合致した人物が選択されたと考えるのである。
つまり、ある種の条件が複合的に重なれば、必ず歴史的事象は起こり、
たまたま社会の流れに合致する人物が選択され、社会を改変するという思想を持つのである。
わかりやすく言えば、
織田信長がいなかったとしても、いずれは別の誰かによって日本は統一されただろうし、
原爆が落とされなかったとしても、日本は降伏の道を選んでいたのだと考えるのである。
そのように考える理由は、単純に数々の歴史的場面は
過去にも、様々な場所でも繰り返されていることを学者は知っているからであろう。
また、学問とは偶然性を排し、共通性を記述する側面があるので、
結果的にそうならざるを得ないという理由もある。

いずれにせよ、僕自身もこの学者の意見には概ね賛成する。
個人史的歴史観が本当に蔓延しているかどうかは調査しなければわからないけれど、
少なくとも、僕自身も歴史は構造的であると考えているし、
個人史的歴史観が危険だろうなという認識は持っている。

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とはいえ。
歴史が偶然によって支配されず、個人が流れの中で役割を果たすとしても、
個人の観点から見れば、社会の流れがどうであるかはあまり関係ないだろう。

桶狭間決戦前夜の織田信長にとっては、目の間の決戦が人生最大の勝負だっただろうし、
原爆を作ったアインシュタインはそのことで一生後悔に悩まされたのだ。

ここに、構造的歴史観と個人史的歴史観の乖離が発生する余地が生まれる。
個人が歴史に巻き込まれたとき、各個人はドラマティックに変遷を遂げる。
ドラマティックであるということは、それはドラマツルギーに利用されるということである。


「人生の熱狂と時代の熱狂が偶然にも一致した幸福な、そして不幸な人々」(by 鴻上尚史)


これは第三舞台のある劇の中で使われた台詞だが(何の劇かは忘れた・・・)、
これらの言葉に、この日記で伝えたいことのすべてが凝縮されている気がするのだ。
構造的歴史観とは、ある種冷静さを人に与える価値観である。
個人が特別であることを許さず、歴史の流れは誰にも止めることはできないと考えさせる。
一方で、個人的歴史観は「熱狂」を与える価値観である。
その個人的体験は誰に成り代わることのできない唯一無二のものであり、
功を成するのは個人の力であると考えることで、人に優越感と特別感を与える。

「人生の熱狂」と「時代の熱狂」。「幸福であり、不幸である」。
この二つの対比は、構造的歴史観と個人史的歴史観の対立を見事に表現していると思う。
僕が思うポイントは「不幸」であるという記述である。
ここでの「不幸」は「幸福があれば、不幸もある」という文脈で使われているのではなく、
「幸福」と「不幸」が表裏一体の関係にあるアンビバレンツを表していると僕は考える。
だからこそ、僕はこの言葉を高校生の時に知ったにもかかわらず、
今でも妙に心に残っているのだろう。

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この構造的歴史観と個人史的歴史観の対立は一個人の歴史にも当てはまると僕は考える。

ここから以降の話は僕の人生観としか言いようがないのだが、
僕は僕自身の人生において、いくらでも自分の代わりはいるのだと考えている。
僕のたいしたことない人生の中でも、それなりに成功体験・失敗体験があるのだが、
僕はそれらの成功体験が、自分の力で手に入れたとはあまり考えていない。
たまたま、その場で求められた人物像(=役割)が僕だっただけであると考えているのだ。
一方で失敗体験も、自分の能力が足りなかったのだと悲観することもあまりない。
最低限の努力や準備は必要だけれど、
結局どんなに努力をしていても、たまたま求められる資質が異なっていて、
不幸な結果になって苦しんだ人を大量に知っているからである。

以上が、構造的個人歴史観。
こう考えることで、僕は僕の人生に対して冷静でいられるのだと思う。

一方で、僕は個人的個人史観を持っているのだと思う。
詳細を書くと、単なるナルシストになってしまう恐れがあるので書かないけれど、
どこかで自分は(様々な場面で)特別なんだと思っていなきゃやっていられないのだ。

要するに、バランス感覚。という事になるのでしょう。

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最後に結論を付け加えると、
僕は個人のモチベーションや感情は個人的個人歴史観でよいと思っている。
だって、そう考えた方が生きる事に対して前向きでいられるから。

だから、僕は上記二つの歴史観の対立を次のような形で昇華している。

僕がいてもいなくても会社や共同体、僕と関わった人や歴史はたいして変わらない。
しかし、何らかの役割が与えられたならば、僕はその役割と真剣に向き合いたい。
そして、楽しみたい。

社会や誰かが僕を必要とするならば、喜んでこの身を提供したいのです。
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# by tomomo_tomopan | 2008-08-16 10:03

感謝というモチベーション

会社員という職業を得て、はや三ヶ月が経った。
新卒として入っているるので、当たり前だけど周りは年下ばかりである。
(ちなみに同期は200人以上。もっとも半分以上は院卒なんだけど)
すると、不思議なことに尊敬とは言わないまでも、僕を「すごい」と言ってくれる人がいる。
身に余る光栄ではあるのだけど、素直にうれしく思う。

そんな中、同じように多少遠回りをして新社会人になった同期がいる。
彼は、ある時僕にこの様に言った。
(彼もまた周りの同期から尊敬される人間である)

「周りからすごいと言われることもあるけどそんなことはないし、むしろダメ人間だよね。
 彼らが僕らくらいの年になったら僕らなんかより全然すごい人間になっている。
 要するに、単純に年を取っているだけだ。」

全く持ってその通りだと思う。
彼らに僕らが遠回りした6年間を与えたら、尊敬できる人間になっているだろう。

でも、僕はこの考え方を完全に受け入れることはできなかった。
というのは、6年後の彼・彼女たちが僕よりも立派になっている事には同意できるけれど、
僕は自分と同じ年の人間と比べて人間的に劣っているとは思わないからだ。

 僕は成長してきた。
 自分の生きてきた道に後悔はしていない。

そして、何より僕には次の様な強い信念がある。

 僕はこの人生の中で多くの人に出会い、多くの人に支えられて生きてきた。
 ときには返せないほどの恩義を受けたし、ときには多大な迷惑もかけた。
 もし、自分の人生を否定したならば、
 僕は僕を支えてくれた人達の恩義を否定することになる。
 それだけは、僕にはできない。
 もう恩義を返せない人もいる。
 そんな人たちも含めて、彼・彼女たちに対する恩返しは僕が僕らしく生きることなのだ。

残念なことではあるけれど、人は年上という理由で単純に尊敬するわけではない。
上であっても、下であっても年齢に関係なく尊敬できる人は尊敬できるのだ。
同期たちの敬意の気持ちには、単純に年上に対する敬意という観点があるだろうが、
それを差分しても、何か相手に与えられるものがあるからそういってくれているのだと、
僕は素直に受け入れている。
他人よりも自分が優れているとか、自分は有能な人間だと言いたいわけではない。
ただ、自分が自分らしく生きているということの結果の証明として、
尊敬という評価を、自分を支えてくれた人たちに渡したいだけなのだ。

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話は少し変わるが、先日ある22歳の女性が次の様なことを言っていた。

「社会人になって、作業に答えがないことをとても不安に思う。
 私は与えられたことに対しては、適切な答えを出すことができる。
 そうやって答えを出すことで他人に感謝されることで喜びを覚えてきた。
 でも、社会人は答えがないし、終わりがないからどうすればいいかわからない。」

久しぶりにこんな発言を聞いたなぁと思った。
というのは、実はこのような悩みというのは、新社会人なる年齢の人たちによくあることで、
一般的には、有名大学出身の女性におおく、
学生時代真面目に授業を受け、点数をしっかり取ってきたタイプが陥りやすい罠なのだ。

僕はそういうタイプの子が精神失調に悩まされ苦労している事を知っている。
うまく切り替えないと、重い鬱病にかかってしまうこともあるのだ。

このような発言は、大学院に行きたいという何割の女性にいたなぁと思う。
僕が大学生だった数年前は不景気のまっただ中で、
かなり良い大学に入っていても、なかなかいい会社への就職なんてできなかった。

僕自身の感想になってしまうので非常に申し訳ないのだけど、
いわゆる一流大学と呼ばれる大学の女子大生は真面目に授業を受けるタイプがおおい。
(一方で男子学生はわりと勉強しないで入ってしまう天才肌がおおい)
そういうタイプの女子大生は、結果(=点数)を親や教師から求められ、
その期待に応えることで、ある種の生き甲斐を感じている人がおおかった。

○○が喜ぶから私は頑張った。

こういう奉仕の精神と自分の行動が結びついてしまう女性はそれなりにいるのだと思う。

時代が時代なら、その頑張った結果が一流企業への就職という形で結びつくが、
数年前はそのような時代ではなかった。
頑張っても、頑張っても評価されない、結果に出ない。そんな結果になる。

そんなとき、教授から自分の書いたレポートを褒められる。
「良かったら、大学院に行かないか」と教授から甘い言葉をささやかれる。
すると、その子はそこに自分の意義を見いだして、大学院に進んでしまうのだ。

ところが、大学院はそんな場所ではない(少なくとも文系おいては)。
将来への展望は真っ暗で、研究テーマも自分で見つけ、自分で答えを出さなきゃならない。
ある意味、社会に入るよりも、信念と覚悟が問われる世界なのだ。

従って、そのような女性は上記のような悩みを抱え込んでしまう。
大学院時代にそのようなタイプをよく見たという理由はこのような背景があるからだ。

要するに、このような奉仕の精神が強い女性の大学院進学は、
「先延ばし」「引き延ばし」にすぎないのだ。
なぜなら、大学院に進学したって、企業に就職したって、
学生時代と違って、どこにも答えなんかないから、自分で探さなきゃならないからだ。

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話を一気に戻そう。
上記の社会人に対する不安を話した彼女の発言を受けて、
僕はどのような答えが返せるのかをあの後一日考えてみた。

その結果、「感謝というモチベーション」なのではないかと思った。

誰かの期待に応えたいという気持ちは素晴らしいものだと思う。
また、誰かに奉仕をしようという気持ちも素敵ものだと思う。

ただ、感じて欲しいのは、
相手の期待に対する応え方は現実的な「数値」ではないということだと思う。
打算的な教授や会社の上司は「数値」を求め、
相手をその気にさせて仕事をさせて自分の手柄にしてしまうが、
相手が人格者なら、応えて欲しいのは、その人らしく生きてもらうことだと思う。

そのような形で気持ちを切り替えられればいいんじゃないかな、と思う。
もっとも、そのように他人への感謝の気持ちをモチベーションにし、
「自分らしく生きよう」と思えるまでには相当の時間がかかるものではあるのだけど。
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# by tomomo_tomopan | 2008-07-27 21:58

近況報告

ご無沙汰しております。皆様お元気でしょうか。

近況報告を全くしていないように思いますので、簡単に報告をさせていただきたいと思います。

[2007年12月から2007年4月]
・大学の博士課程を満期修了で退学する事を決意。
・研究職なんてこのご時世なかなかないので、一般企業に就職活動をする。
・4月にある企業から就職内定をいただき、就活をやめる。

[2008年5月から2008年12月]
・気持ちの立て直しを図りながら、残った仕事と研究をする。

[2008年1月から2008年3月]
・ひたすらバイトをしてお金をため、フランス・イギリスに逃亡。

[2008年4月から2008年7月]
・入社。若い人に囲まれながら、3ヶ月ほど研修を受ける。

[2008年7月から現在]
・配属が決定する。幸運にも希望していた研究所勤務になり、研究員となる。

とりあえず、こんなとこ。
深い内省についてはまた後ほど。
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# by tomomo_tomopan | 2008-07-26 10:46

弱い男心がわかる名シーン

ジョゼと虎と魚たち。

名作だと思う。
でも、僕がこの映画のタイトルを聞いて思い出すのは、
僕の親友の言葉と彼が話したこの映画の最後のシーンである。

この映画は足の不自由な女の子に恋をするのだけど、
結局様々なことが重荷になって、彼女の元から去り別の女の人に行くという話だ。
その映画の最後のシーンは、主人公が新たな恋人の話を上の空で聞いているのだけど、
最後に耐えきれなくなって、道端でうずくまって泣くという場面である。

この場面を僕の親友はとても理解できる、と言っていた。
色々な複雑な感情がそこには顕れていて、
足の不自由な彼女を愛せず、彼女から逃げた主人公の弱さが描かれているのだ、と言った。

この感想を聞いた後に僕はこの映画を見るのだけど、
その最後のシーンはなぜか僕の親友の彼の姿と重なった見えた。
それ自体が名シーンであるのだけれど、
非常に彼らしい感情の発露が、その主人公を通して間接的に表現されていたからだ。

ジョゼと虎と魚たち。
僕はこの言葉を聞くと彼を思い出し、
僕は彼がとても好きな事、信頼している事、とても魅力的である事を改めて思い出す。

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マタアイマショウ。

SEAMOの曲である。
僕は彼の事をよく知らなかったのだけれど、たまたま彼のコンサートに行き、
しかも、たまたま僕の親友(上記とは別の人)が同じコンサートを見ていて、
その後に一緒に飲んだ時に彼がこう表現した。

男の弱い心をすごく上手に表現している。すっげー、もてないんだなって思う。

♪この手を離せば もう逢えないよ 君と
 笑顔で別れたいから言う マタアイマショウ マタアイマショウ

♪これからはもう それも出来ない
 お互い違う人好きになって お互い違う人生歩んで
 僕はとっても幸せでした(私もとっても幸せでした)
 いつか心からいなくなるかも だからしたいよ 素晴らしい過去に
 この恋を未来に誇れます 涙まみれ笑顔でめくる明日
 そしてまずこの場で別れ わかってる きっと逢う事ないって…
 だから言います マタアイマショウ 僕なりのサヨナラの言葉よ

うん。確かに男心をよくわかっている。
僕の勝手なイメージでは、女の人はわりとあっさり別れるのではないかと思っている。
だから、ここで描かれている世界は、非常に男の内面的でナイーブな世界だと思う。
いたるところに、未練が残っているのだけど、
それを断ち切ってなんとか綺麗な形で別れようとしている必死さが伝わってくるのだ。

だいたい「マタアイマショウ」と言いながら"逢う事ない"って決めつけが非常に弱々しい。
「幸せでした」とか言ってしまうナルシストぶりが痛々しい。

でも、気持ちはわかる。僕もこんなものだから。そして、きっと彼もこんなものなんだろう。

だから、僕はこの曲を聴くと彼を思い出す。
彼の強そうに見えて、実は繊細な部分がある事を如実に表現されているからだと思う。
この曲を聴くと、彼の愛しき人間性を感じさせ、
これからも友達として一緒にいたいなと思えるのだ。

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オペラ座の怪人。

実はこの話がしたかった。
僕が大好きなミュージカル。この話だけで3時間は語ることができる。

簡単なあらすじ等は前日の日記を読んで欲しいと思うし、
詳しい内容は実際映画などで見て欲しいと思うので割愛させてもらうので、
見ていない人にはなんだかわからない話になってしまうけれど、
ここで「オペラ座の怪人」を語る上で簡単な疑問とその可能な答えを考えてみたいと思う。


Q. もしファントムが美形の男だったら、クリスティーヌと結ばれていたか。


一つ目の可能な答えのはYES。
彼の心が歪んでいたのは、その醜い容貌のせいであったので、
顔が良ければ性格も歪まず、クリスティーヌも問題なく彼を受け入れただろうという答え。

もう一つの可能な答えはNO。
ファントムが音楽の才能を持っていたのは、
その不遇な境遇と自分(と容姿)を呪い続ける魂の叫びがあったから。
従って、美形であれば音楽の才能はそもそも持つことが考えられなかったわけで、
彼の音楽の才能にクリスティーヌが惚れることもなく、
音楽に執着しないファントムも彼女の歌声に惚れることはなかったから、という答えだ。

僕としては後者の意見を採用したいと思う。

音楽の才能というのは確かに天賦のものかもしれないけれど、
それに対する執着心や表現したいという欲求は幸せな生活からは生まれてこないと思う。
ファントムには音楽以外に頼るべきものがなかったから、
それ故に音楽を心の底から愛し、自分の音楽を表現できる彼女に惚れたのだろう。
従って、僕は彼の醜貌と音楽は切っても切り離すことができないものであり、
ファントムにとって音楽と醜貌は表裏一体の関係にあるのだと思っているのだ。


オペラ座の怪人の最後のシーンに、ファントムが鏡を叩き割るシーンがある。


このシーンはファントムがクリスティーヌにラウルとどちらを選ぶかを迫り、
その後、クリスティーヌがその答えとしてファントムにキスをするシーンの後にある。
このキスシーンは様々な解釈があるので、何とも言えないが、
僕は彼女のキスは肉欲的な愛とは違う、慈悲的な愛からキスをしたのだと考えている。
彼女は、ファントムに"You are not alone."と言う。
この意味は、

私は確かにあなたに惹かれていた。
そして、それは醜い醜貌とは全く関係ない。
あなたは確かに私に愛されていたし、あなたはもう愛を知らない子供じゃない。

そんな様なモノだと僕はクリスティーヌの行動の意味を解釈している。
ところが、ファントムにはそれがわからない(または混乱している)。
愛を示しておきながら、別の男と共に去っていく彼女の姿が。
だから、彼はやはり自分の醜貌を憎み、その感情の発露として鏡を叩き割るのだと思う。

一つの解釈として、彼は愛されてこなかったら愛の形を知らないのだと言うことができる。
だから、"理解され受けいられる事=肉欲的な愛"という単純な図式が成立するのだろう。
しかし、愛には一緒になりたいという肉欲的なモノ以外にも様々な形があるのだ。
それがあの時のファントムにはわからなかった、またはその新たな形に触れたから、
鏡をわるという行為にでたのではないかと思う。


この姿がどうも自分と重ね合わせてしまう。


決して僕は親からの愛を知らずに育ったというわけではなかったけれど、
若いときは理解される事と肉欲的な愛は密接にリンクしていた気がするのだ。
だから、女の人との別れ際に、
例えば、「あなたの事は好きだけれどもう一緒に居られない」的な事を言われた時に、
相手の行動の意味を理解できずに、自分の感情が暴走していた苦い記憶を思い出すのだ。

僕が思うに、女性はいつでも自分より精神年齢が高いのだと思う。
そして、男の直線的な愛の形だけではなく、
丸みを帯びた温かで優しい母性という愛を持っているのだと思うのだ。

だから、僕はこの鏡を割るシーンを見ると、どうも胸が苦しくなるのだ。

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最後にもう一つ。
やはり同じオペラ座の怪人から。

「オペラ座の怪人」の一番最新の映画版は
基本的にミュージカル版と同じ内容なのだけど、異なる部分が多少ある。
それは冒頭のラウルが猿のオルゴールを落札するシーンと、
最後にラウルがクリスティーヌの墓にその猿のオルゴールを捧げるシーンである。
(記憶違いだったらごめんなさい)
後者は映画の完全なオリジナルであり、
前者はミュージカルでもあるのだが、映画版にはないがミュージカルでは
ラウルがオルゴールを手渡された時にそれを忌々しく振り払うシーンがあるのだ。

僕は絶対にミュージカルの解釈(演出)の方がしっくりくると思う。

映画版だと、ラウルはファントムの永続的な愛を理解し、
クリスティーヌのファントムへの愛(音楽への愛)の未練を受け入れている様に見える。
でもミュージカルの解釈では、
オルゴールを落札するあたりに、クリスティーヌへの配慮が見受けられるのだが、
それを素直に受け入れることのできないやるせない気持ちが表現されているのである。

男は映画版みたく潔くもかっこよくもない。
見栄っ張りだからかっこつけようとするのだけど、結局格好悪いのが男なのだ。
映画版みたく、愛する人が持つ別の人への愛や他人の一途な愛を受け入れられない。
だから、ミュージカル版の解釈はすごく正しいし、自分と重なるわけである。


思えば、この上四つのシーン全て、
格好つけようとするけれど、結局格好悪いうじうじした部分が表現されているものばかりだ。
その辺の泥臭さを女性は愛してくれればいいと思う。
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# by tomomo_tomopan | 2008-03-31 13:27

才能に恋をしたファントム

僕は"才能"のある人が好きだ。
ただ、僕の言う"才能"というのは神様から特別に与えられた誰もが認める能力ではなく、
この広い世界を独自の視点で感じ、切り取れる力だと思っている。
それは音楽や美術だけではない。
この世界で感じたことをすくっと言葉にでき、表現できる能力を愛しているのだ。

「なるほど、あなたはこうやって世界を見ているのか」

そう感じたら僕はもうその人に恋をしている。
その人の隣で、その人が感じていることを一緒に感じたく思い、
僕を新たな世界へ連れて行って欲しいと願ってしまうのだ。


・・・。なんて事を人に話したら、恋をしなくてもいいじゃないか、と言われた。
どうやら僕は親和欲求(別の他人と一つになりたいという欲求)が強すぎる様で、
その人は確かに誰かが書いた絵や作り出した音楽に妙に惹かれたり、
はっとする言葉に出会うとその人の文章をずっと読みたくなるかもしれなけれど、
一緒に感じたいと思わず、そこで完結すればいいのだと話していた。

要するに、好きな作家が書いた小説は読むけれど、
実際にそれを書いている作家に恋をしたりはしない、ということであり、
作品と人格は別で考えるべきなのだ、という話であるのだ。

なるほど。ごもっともである。


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昨日、ロンドンから帰国した。
ロンドンには3日しかいなかったのだけど、うち二日間ウエストエンドでミュージカルを見た。
そのうちの一つが僕が大好きな作品「オペラ座の怪人」である。

オペラ座の怪人を見た・読んだ事がある人がどれくらいいるかわからないけれど、
簡単に内容を話すと、
オペラ座の下の地下水路に音楽の才能に溢れた醜い容姿を持つ男が住んでいて、
ある時オペラ座で端役を演じていた女性に恋をするという話である。
ミュージカル版と原作ではかなり話が異なるのだけど、ミュージカル版では、
基本的にこの二人と、女性の観客であった貴族の美男との三角関係を中心に描いている。

醜くく、それ故に孤独さを併せ持つ音楽の才能を持つ男(=ファントム)。
金もあって、顔もよく、人一倍彼女を愛している貴族の男(=ラウル)。
最初は女性(=クリスティーヌ)はラウルと惹かれあっていくのだけど、
物語が進むにつれ彼の音楽の才能にどんどん惹かれていってしまうわけである。
ただ、結果を言えばクリスティーヌはラウルを選ぶ。
見た人によって色々な解釈があるから、彼女の決断の意味も様々な形で取れるのだけど、
どんなに好意的な解釈をしても、彼女がラウルを選らんだ事実はは間違いないだろう。

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僕は「オペラ座の怪人」を見ると、毎回ファントムに肩入れしたくなってしまうのだけど、
それはあそこまで凶暴的(結局ストーカー&殺人鬼ですから)ではないにしても、
似たような部分を持っていると感じるせいかもしれない。

ファントムにとって、才能とその中の人格は一つのものだと考えているのかなと思う。
つまり、彼が愛したのは音楽の才能(美しい歌声)を持ったクリスティーヌであり、
優しく接し、理解を示していたマダム・ジリーには恋心を抱かないのである。

こういう状況を心理学的にはハロー効果と説明するのかもしれない。
ハロー効果とは、ある対象を評価をする時、
顕著な特徴に引きずられて他の特徴についての評価が歪められる現象の事を指すのだが、
簡単に例を挙げれば、頭が良い人を人格者だと思ってあがめたり、
美しい顔を持つ人を人格的にも素晴らしいと思いこむ認知バイアスのことである。
同様にファントムもクリスティーヌの歌声に惹かれ、
そこからすべてに惹かれていったと考えるのは自然かもしれない。

でも、僕はファントムの恋心はハロー効果とは少し異なると思っている。

ファントムにとって才能(=歌声)だけがすべてだったのではないかと思う。
部分が全体であり、歌声こそ彼女であるのだ。
そして、愛するべき才能さえあればその人のすべてを愛することができる。
そういう感覚ではなかったのか、と思う。

だが、クリスティーヌは違う。
彼女もファントムの音楽の才能に惹かれていくのだが、
結果的にファントムではなくラウルを選んだのだから、
才能ではない別の要素がファントムを生涯の伴侶として選ぶことを拒んだ理由があると思う。
部分が全体ではないのだ。音楽の才能は音楽の才能なのである。

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と、考えていくと僕は紛れもなくファントムタイプであるといえるのかもしれない。
そして、世の中には別に全体で考える現実的なクリスティーヌタイプがいるのかもしれない。

男が部分から全体を愛せ(ある一部分に恋ができれば万事OK)、
女が部分から全体を愛せない(顔だけじゃダメなのよ。生活力が大事なのよね)という結論は、
男が理想主義的で、女性が現実主義的という一般的な見解と結びつけられるわけだが、
まぁ、僕はそんな一般論は一般論としておいておくタイプなので断言はしないけれど、
そういうものかもしれないなぁ、とは思ってしまうわけである。

でも、何か一つを愛せてそれで死ねたら本望じゃない?
芸術に命を捧げられたら人生ハッピーじゃない?

・・・そう思う僕はきっとダメ男なんでしょう。
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# by tomomo_tomopan | 2008-03-29 13:27

Come Back to Tokyo

東京に戻ってきて二ヶ月半が過ぎた。
仙台にいた頃は、たまに実家に戻ってきて満員電車に乗ると帰ってきたなぁと実感したが、
今ではあの殺人的混雑ぶりはとにかく腹立たしくて仕方がない。
先日、目黒から山手線の最終電車をぐるりと半周する感じで家に帰ってきたのだが、
(つまり、渋谷→新宿→池袋という巨大都市を通過して帰ってきたということ)
金曜日だったこともあって、とにかくひどい混みようだった。正直腰の骨が折れるかと思った。
なんであんなに人がいるのかと本気で怒りたくなった。

* * * * * * * * * * * * * * * * * * * * * * * * *

同時に僕は別の観点から「東京」に戻ってきたんだなと感じている。


それは"会話のスピード感覚"である。


先日岡山の人と一緒にご飯を食べたのだが、
その時彼女は「東京の人の会話は早くて表面的だ」と話していた。
おっしゃること、そのままよくわかる。
会話は基本的に"ノリ"という名の"空気"によって支配され、
その会話の中身は言うと、後に残るようなものはなにもなく、
誰かを"ピエロ"(通称イジラれ役)に仕立て上げ、
その人を軽妙にある意味馬鹿にする事で会話が成立するのだ。
それは自分を貶めて笑いを取る自虐ネタでもなけば、
知らない誰かをネタにして笑いを取る大阪的(といったら怒られるのだろうか)笑いとも異なる。

例えば、R25というある意味東京の軽薄さを象徴する無料で配布されるフリーペーパーがあるのだが、
(ちなみにこれは地方には配布されていないのだが、東京の人間はこれが全国標準だと思っている)
この中に「大人の合コン力検定」というものがあって、
合コンの場での会話という前提で、どう答えるのがベストかという選択式の問題を掲載している。
今回のテーマはホワイトデーで次の様な問題が掲載されていた。

【問1】
和んだ雰囲気に気が緩んだのか、
男性の一人が「女性に多い職場だからホワイトデーのお返しが大変だったよ」と
自慢とも取れる発言をした。望ましいツッコミは?
1. 「おっ、さりげない自慢だね。にくいよー、この色男!」
2. 「オレだって大変だったよ。お前いくつ返した?」
3. 「いいよなぁ、そんなふうに嘆くことができて・・・」

答えは1であると言うのだが、その解答の解説は次の様なものだった。

「明らかに合コンの場には不適切な発言です。しかし、人間にはミスはつきもの。
 当意即妙なツッコミで、彼自身と場全体へのダメージを最小限に抑えるのが、
 大人の合コンニストの粘り腰であり、チームワークです。
 ここは1の台詞で発言者をピエロに仕立て上げ、軽い笑いを生み出しておくのが、
 もっとも後腐れない対処。」

この記事の解説のキーワードは「ピエロ」と「後腐れない対処」である。
合コンに重い話題はいらない。
誰かを犠牲にして(ネタにして)、盛り上がればそれでいいのだ。
また、「後腐れない」という言葉を使うことからわかるとおり、
じっくりと腰を据えた息の長い関係を作ろうという気配も見あたらない。
よくも悪くもこれが"東京的"だなと僕は思うのである。

* * * * * * * * * * * * * * * * * * * * * * * * *

僕は先程、「東京に戻ってきた」と感じている事を書いたが、
実は最近よくそれを心の底から実感するのである。
今、僕は日払いではあるけれど、派遣という契約で一時的に働いている。
そこでの会話がとにかく"東京的"なのだ。中身がなくて、その場のノリを楽しむのだ。

良いか悪いかという話ではない。

単純に"戻ってきた"と感じているだけだ。
そう、思えば僕の中学・高校の会話なんて基本的にこんな感じだった。
大学時代だって、バイト先は関東人ばかりだったからこんな感じだったかもしれない。
ただ、当時の僕はそんな軽薄な空気に耐えかねていた。
だから、学問の世界に飛び出したし、国際交流という世界に飛び込んだ。
その世界に飛び込んだ人たちは刺激的な人がおおかったし、
場の空気を多少無視ししても、自分を語ろう、他人を知ろうという空気に包まれていた。
そんな空気を僕は愛していたから、その後はずっとその世界に浸っていたのだと思う。

で、僕は"東京"に戻ってきた。

"東京的空気"を懐かしむ気持ちは多少あるが、
この空気だけで生きていたら、僕は息がつまるだろうと思う。

* * * * * * * * * * * * * * * * * * * * * * * * *

"東京的空気"は基本的に東京二世が生み出した空気だと思う。
江戸が持っていた気質と地方出身者ばかりの寄り合い所帯が生み出した空気だ。

地方の人がその地方の空気が嫌で、東京に出て行く事がよく言われるけれど、
都会的空気が嫌な東京人が成功を夢見るならどこに行けばいいのだろうか?

答えはただ一つ。自分をブラッシュアップするしかないのしかない。
そう考えると、東京人の"東京脱出"はかなり難しいのかもしれない。
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# by tomomo_tomopan | 2008-03-17 13:26

「母産み」

僕が一番強烈に憶えている母との記憶は小学校低学年の時のものだ。

真冬のある日、小さな池がある近くの公園で友達と遊んでいて、
どういう経緯だったか忘れたが、僕はあやまってその池に落ちてしまった。
およそ10分くらいの家までの道をぶるぶる震えながら帰った記憶がある。
家の玄関にたどり着くと、たまたま母がどこかに出かけようとしていた。
しかし、母は唇が真っ青だった僕を見つけると、すぐに家に戻りお風呂を沸かしてくれた。
用事を断り、とても慌てながらも僕を心配してくれた母の姿を今でも憶えている。

今考えれば、普通の親として当然の行為なのかもしれない。

しかし、絶対に怒られると思って帰ってきたのに、とても優しく対応された時、
間違いなく母の愛を感じたのは間違いない。

暖かい記憶はときとして人を救う。
言葉はいつもあからさますぎて、記憶のかすかな光を消し去ってしまうけれど、
記憶が残す風景はときに人を暖かく包み込む。

子供から思春期にかけて、何度も何度も母と喧嘩をし、
何度も何度も母や家族を否定したくなっても、
それでも純粋に家族を信じることができたのはこの暖かな記憶の光があったからだと思う。

愛情とは抽象的で目に見えないものである。
でも、人は目に見える形のあるものを追い求め、そこに何かを感じようとする。

だから、人は愛情を表現するモノとして、
品物や行為に意味を見つけようとするのかもしれない。
でも、僕はできれば品物や行為に意味を見つけようとしたくはない。
だから、その代わり僕は風景に心をそっと忍ばさせる。


母?
ここでふと僕は自分の記憶に立ち戻る。
この記憶は確かに僕と僕の母との記憶だ。
しかし、これは本当に絶対視する程の「母親」としての愛情なのだろうか?

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前回の日記では高校時代に書いた小論文を掲載し、
そこでは童話・民話における「母殺し」から自分の「母殺し」の話へと展開した。
もちろん、僕の場合の「母殺し」とは抽象的な意味での話だ。
子供は成長するにつれて、新たな社会(学校)が重要な生活の場になっていく。
そこは当然様々な人・モノに守られた非常に緩やかな社会ではあるが、
やはり社会である以上、そこには様々なルールが存在し、行動にも制約がかかる。


そこに社会と社会の対立・摩擦がおこる。


子供には異なる二つの世界(学校と家庭)を容認し、
それらを切り替えながら賢く生きるという術を知らない。
だから、二つの社会の価値観を統合するために、相手に理解をしてもらおうとする。
相手に理解があったり、自分の世界を説明するのが上手ならば、
はたまた、自分が相手の世界を許容し、相手の説明に理解するならばさほど問題はない。
しかしそうでないならば、互いは互いを否定し、罵り合うしか術がなくなるのだろう。


実は、前回の日記で描いた「母殺しの完結」は上位社会への移行を意味しているのだ。


当時の僕は小論文の中で次の様に書いている。

「その時私が見たものは「母」ではなく、一人の「人」であったのだ。
 私へのもろもろの禁止事項や反対は親の子に対する思いやりではなく、
 エゴイスティックな、何よりも私自身への愛情だったのだ。」

ここで受容した世界は、単純に言えば「人は好きな人を思いやる」という世界だ。
子供の頃は友達が絶対の存在で、友情を守り抜くことが美しいと思っていたのだが、
実は母が僕に持っていた価値観も、人を愛するという意味で根が一緒だと気づいたのだ。
二つの異なる世界(学校と家族)に共通する価値観。
上位世界とは二つの異なる社会を包括する社会のことを指しており、
恐らくは、高校生の僕はは女の人と付き合うことで、
異なる二つの社会(この場合は僕と彼女)の橋渡し法を学び、
それがきっかけでその上位にある世界の構築を僕に促したのだろう。

言葉は違えど、コメンテーターが
「"人"であるという関係を支え、担保しているものは何かについての捉え直し」
と言っているのは、きっと上位世界の存在について伝えてたいからなのだろう。
そしてそれは、もし現在の僕が過去の僕にできるならきっとすると思われる内容なのだ。


「上位社会の容認」以外に前回の日記で重要な点がある。それは「母親産み」である。


そもそも僕自身が否定していた「母」とは本当に実在の僕の母親だったのであろうか。
この答えはNOである。
当時の僕が言う様に心の中で"理想的母親像"を産み、それを母に押しつけいたのだろう。
もちろんそれは母の側にもあった。僕にもまた"理想的息子像"を押しつけていた。
とはいっても、この様な"理想の押しつけ"を僕は否定しているわけではない。
言い方を変えれば、この"理想の押しつけ"は"期待"であり、
養育者でもあり年長者でもある親にとっては子供のために当然のものであるし、
親子どちらにとっても"期待"は人を成長させる為に必要なものだから。
いずれにせよ、僕が「母殺し」をせざるを得なかった理由は、
単に自分が属しはじめた学校という社会と家族という社会の対立だけではない。
自分の中にあるコードとしての"母"と現実の"母"とのギャップを埋める手段でもあったのだ。


ここでもう一度冒頭の文章に戻りたい。
僕の記憶の中でこの母親の姿は理想的なものである。
しかし、僕が親の愛情を受けた場面はこれだけに限らず他にもあった気がするし、
冷静に考えれば、母の取った行動は当然のものとも思える。
だから、きっとこの理想的な母の姿は僕の頭の中で何度も再現され強化されたに違いない。
そう、これは一種の象徴(シンボル)なのだと思う。
きっと僕の理想的母親像がこの記憶に投影されているのだ。

 * * * * * * * * * * * * * * * * * * * * * * * * * * * * * * * * *

様々な形で親を困らせたことは自認しているが、
僕の人生の中で基本的に親との関係は良好であったと思う。
「母殺し」という物騒な言葉を使うほど親を否定していた記憶もない。
そもそも僕の母親は確かに口うるさくとても怖い存在であるが、
人として持つべきモノを持っていると思うし、尊敬もしている。
また、僕自身も常に反抗的で屈折した心の持ち主でもなかったと思う。

きっと、僕も母もそれぞれの価値観(学校と家庭の二つの世界)と対立しながらも、
それなりに僕も母もお互いの理想像になろうと努力していたのではないかと思える。
ただ、おおく親子関係がそうであるように、
学校と家庭との延長線上にある統合された上位世界への移行というモノは非常に難しい。
僕はその世界を理解したし、その世界で判断していると考えているけれど、
残念ながらと言うべきか、僕の母はその世界統合にはまだ時間がかかりそうな気がする。
(というより、親にとって子供はいくつになっても永遠に子供なのかもしれない)

また、たとえ相手を否定していても象徴的な記憶を保持することで、
その関係を維持していたというのは、正直に言うとすごく良いことだと思う。

そう考えると、暖かい記憶は人を救うのかもしれないと改めて思う。
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# by tomomo_tomopan | 2008-01-07 00:02

母殺し

去年の年末、実家の部屋の片付けにおわれていた。
一人暮らしをしていた時の荷物を全ていれる為には大量にものを処分しなければならないのだ。

片付けをしていると、昔の日記やメモなどがたくさん見つかった。
青臭いなぁと思う話はたくさんあるのだけれど、
今の自分が読んでも考えさせられる、すごく面白いなぁと思えるものばかりだった。

電子データとして残しておくために、いくつかを公開したいと思う。
そして、現在の視点から当時の僕が考えていた問題を再考したいと思う。

~*~*~*~*~*~*~*~*~*~*~*~*~*~*~*~*~*~

注:この文章は高校生の時、大学受験で必要だった小論文の模試で作った答案で、試験後模範解答として載ったものです。問題は初版の白雪姫を読んだ感想です。



私が記憶している『白雪姫』とこの初版の『白雪姫』と内容上異なる点が二つある。一つは女王が最後に残酷な死に方をする点、もう一つは女王と白雪姫の関係が実の母子である点である。私はこれらの点に引っかかりを感じた。それは、常に理想的な愛情のある母子関係を信じ、またそうでありたいと望んでいた自分を思い出すからであろう。

私が「母」という概念に疑問を抱きはじめたのは、恐らく小学校の低学年の頃であったと思う。
その頃になると小さいながらも自分の社会を持ちはじめ、その社会中には暗黙のルールが存在することに気づきはじめる。子供によって友達は絶対の存在であり、嘘や裏切りは許されないのである。そうした中で「母」が現れる。「あの子と遊んではいけない」「そんなことをしてはダメ」と言う。子供はそれが信じられない。そこに二つの社会の対立が起こり、かくして心の中での「母殺し」がはじまっていくのだろう。

容易に親を否定できない時代において、民話や絵本が残酷な物語の形をとる事でそのストレスを発散させる機能を果たしていたことは容易に想像がつく。その初版の最後の場面もそうしたことが背景になっているのだろう。しかし、と私は思う。焼き死んでいく母を見ながら、白雪姫は何を思うのか、何を感じるのであろうか。

私は高一の頃駆け落ちをした。上野駅まで行き、何もかも捨てて遠くに行こうと思っていた。でも、結局夜を過ごしただけだった。お金もなかったし、第一捨てるのものがおおすぎたのだ。家に帰ってひどく怒られ、母に泣かれた。そして、その時私が見たものは「母」ではなく、一人の「人」であったのだ。私へのもろもろの禁止事項や反対は親の子に対する思いやりではなく、エゴイスティックな、何よりも私自身への愛情だったのだ。その時に、私の「母殺し」は完結した。私は母の考えや意見を大切な他人の様に聞き、他人に対するのと同様に優しく接する様になった。私と母という一人の「人」との関係が築かれはじめたのだ。

「母殺し」は重要である。心の中においても、実際の行為においても、親というものを客体化することは大切である。しかし、より大事なのはその後の関係である。世の中に初めから無前提に存在する関係はないと思う。生きて、努力することによって素晴らしい関係が築き上げられるのではないだろうか。

~*~*~*~*~*~*~*~*~*~*~*~*~*~*~*~*~*~

改めて客観的に読んでみると、面白いと思える部分もあるのだが、
細部が非常に荒削りで、感覚は良いけど表現法が稚拙だなぁと思える。
明らかに無駄な箇所がいくつかあり、構成そのものがかなり甘い。
もっとも、これは時間制限がある試験だからそこまで書けないのも当然ではあるけれど。
でも、今の僕がこの答案を採点し合否を決めるとしたら不合格にするかもしれないな。

まぁ、それはおいといて。
この答案には採点者のコメントも付記されていたので、それも追記します。

* * * * * * * * * * * * * * * * * * * * * * * * * * * * * * * * * * * * * * * * *

寺山修司の映画に「田園に死す」というものがあるが、これもひとつ"母親殺し"をモチーフにしている。自らの記憶を映画という装置を用いて修正することができるのかというパラドックス-記憶とは現在の捏造された虚構ともいえるからだ-を、ドラマトゥルギーのだが、象徴的なのは年老い母親の存在が最後の場面でおぞましくも鮮明に展開していることだ。さて、本答案であるが、Aの母子の愛情関係という自明性、Bの"禁止"の場面、Cの"駆け落ち"を起点にしたあなたにとっての母子関係の受容は論述の展開として見事である。いくつか内容的にコメントしたいが、Bの禁止の発動が母親による象徴的なものではなく、恐らくAに裏打ちされたものであるという点(つまり、Gをあなたの側から捉える論述)それからDの"人"という言葉の意味をEと捉えるのはまず良いだろう。それが母親殺しを象徴しているからだ。しかし、もう一度"人"であるという関係を支え、担保しているものは何かについての捉え直しが欲しい。Gは母親の側からの関係であるが、Gのことをあなたが受容する事も母親殺しであるはずだからだ。

注:コメントに関連する部分
A:(一段落目)愛情のある母子関係を信じ、またそうでありたいと望んでいた自分を思い出す
B:(二段落目)そのころになると~はじまっていくのだろう。
C:(四段落目)駆け落ちをした。
D:(四段落目)その時みたものは「母」ではなく一人の「人」であったのだ。
E:(五段落目)親というものを客体化することは大切である。
F:(五段落目)「しかし」以降全て。
G:(四段落目)「私へのもろもろの禁止事項」~「愛情だったのだ」。

* * * * * * * * * * * * * * * * * * * * * * * * * * * * * * * * * * * * * * * * *

まず、採点者に敬意を表したいと思います。
的を射たコメントをしているし、自分の論文を肯定的に評価してくれているからです。


さて。

まず、現在の僕ならどう書くかという点で話をするなら、
一段落目でかなり強引に「母殺し」を展開している事が非常に気になる。
また、完全に三段落目がいらない。
だから、三段落目の最初の部分をはじめに持っていき、
民話や童話の背景を書いてから「母殺し」の展開をすると思います。
そして、コメンテーターが言うように最後の部分は全くいらない。
多分今なら、もう少し深める論述をすると思う。

全体的な内容に関しては、ちょっと長くなったので別の視点から書きたいと思います。
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# by tomomo_tomopan | 2008-01-05 15:23

謹賀新年

あけましておめでとうございます。

今年はとても天気が良くて、新年の幕開けにふさわしい気持ちのいい空でした。
なんだか今年は良い年になる予感。
いや、良い年になるようがんばらなければならないということなんだけど。

それでは、皆様のご健康とご活躍をお祈りしつつ、新年の挨拶とさせていただきたいと思います。
今年もどうぞよろしくお願いします。

2008年元旦
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# by tomomo_tomopan | 2008-01-01 23:08

あれから一年・・・

去年のクリスマスはたぶん一生忘れることができないと思う。
選択の余地のない最後通牒を突きつけられ、屈辱の言葉を受け取った日だ。


先日の23日、僕は仙台を引き払い、東京へと戻った。


引っ越しの日にちまで、自分の心はどのように動いていくのかがすごく興味深かったのだが、
前日までなんの感傷も感慨も受けずに、引っ越しの期日だけが迫っていった。
そして、荷物を運んで綺麗になった部屋をみても、
多少寂しさは感じたけれど、僕の心が揺さぶられるようなことはなかった。


クリスマスになると、仙台駅前の通りはイルミネーションで彩られるのだが、
バスに乗り、駅までの道が渋滞に巻き込まれ、全くバスが動かなかった時、
そのイルミネーションを見ながら、とても強い感情が押し寄せてきた。


なぜ、ぼくは東京に戻らなければならないのだろう。


わき上がってきた感情は寂しさでも、楽しかった思い出でもなく、
屈辱の気持ちと、自分自身の情けなさと、忸怩たる思いだった。
不思議なことに誰かを恨んではいない。
また、自分自身の決断が誤りであったとも思わない。
ただただとても悔しい思いだけが、常に心に去来した。

一昨年一年間は絶好調の年だったと言っても過言ではなかったと思う。
素晴らしかった事が特にあったわけではないし、むしろ失敗だってたくさんしたのだけど、
その失敗ですらも自分の血肉になっていたし、とても成長できた一年だったと思う。
今は道が違ってしまったけれど、魅力的な人に出会えたことは本当に喜びだった。
学問の方だってアイデアはいっぱいあったし、本当に研究するのが楽しかった。

思えば、去年のクリスマスイブはとても幸せだったと思う。
同じように駅までの道で渋滞に巻き込まれ、全然車は動かなかったし、
結局途中で車を置いて駅まで歩いていったのだったが、心は満ち足りていた。
あの時はイルミネーションがとても綺麗だとは思っていなかったけれど、
きっと僕のこころには光り輝いていたのだと思う。


だからこそ、僕は同じイルミネーションの下で悔しさがわき上がってきたのだろう。


去年までの僕は知らなかった。こんなにも苦しい一年が待っていたなんて。
全てがうまくいくのだと、あの時は信じ切っていた。
運命とは本当に残酷なものだと思う。


「仙台の屈辱」


「カノッサの屈辱」よろしく、僕は心の底でこの仙台での生活をそう形容している。
就職が決まって、どんなにおめでとうの言葉を言われてもまだ胸が本当に痛い。
様々な人に言われた残酷な言葉が頭によぎり、眠れないことだってまだある。
人生は無駄にならない、苦労は身に付くのだと言われたって、
頭では理解していても、経験や知識が役に立つなんてほとんど思えなくなった。
僕はきっとこの屈辱を永遠に忘れることはできないだろう。


でも僕は必ず帰ってくる。
このままでは終わりたくない。


とりあえず、サヨナラ、仙台。


夢や信念はずっと心の中にとめて、
この三年間で応援してくれた人に感謝の気持ちを忘れず、
傷つけた人たちに対して常にお詫びの気持ちをもって生きていきたい。

 * * * * * * * * * * * * * * * * * *

今年は本当にひどい年だったなぁ。
来年は本当にいい年になって欲しい。
そして、その為にはいい年になるような努力をしなければならないのだと改めて思う。
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# by tomomo_tomopan | 2007-12-31 19:02


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